プロ論

私がまだピチピチの青年時の夏真っ盛り。

太陽から容赦無く降り注ぐ熱線の中で、私は戦いの果て力尽き、生死の境を彷徨っていました。

今でこそ「夏は熱中症に注意!」なんていうのは世間の共通認識となっていますし、キャラショー業界も「夏場は過酷な内容は避けるべし、夏場の現場は原則屋内にて行う事」などの注意喚起を促してくれていますが、ひと昔前は「熱中症」なんて言葉自体が存在しなかったのでは無いかと思うほど、地獄の夏でした。

業界内でも一番キツイとされる類のスーツに身を包み、夏場だろうが何だろうが関係なく、冬場でも過酷な現場の内容をそのまま炎天下の野外ステージで行っていました。

みんな馬鹿だったんじゃないかと今にしてみれば思います。

そう、みんなが馬鹿だったせいであの事件が起きました。

あれはもうかれこれ20年以上前のことです。

その年は記録的猛暑となり確か最高気温は37℃オーバーだったように記憶しています。

地域の夏祭りの現場でした。

ショータイム…ちょうどお天道様が真上にくる時間のお昼…暑さも最高潮に達し、照り付ける直射日光、足元のアスファルトが熱を放ち、そこここで陽炎が揺らいでいます…

いざ、夏が挑戦状を叩きつけてきました。

若いなりにも主役を任されていた私は、「なにくそ!こんな暑さ!」と気合も十分に夏の挑戦に真正面から立ち向かいました。

が、数分後…私は愚かにも夏の挑戦を受けてしまった事を死ぬほど後悔する事になります。

私ごときの気合いなど、あの猛烈な夏の前には、すぐに溶けて消えるアイスクリームと変わりませんでした。

「あ、暑い!暑い暑い!」最初は単純にそんな想いでしたが、動けば動くほどに密閉されたスーツ内の温度は上昇し、次第に暑さが熱さに変わり、あまりの熱さに臓器という臓器がバグり、口、鼻、肺の連動が乱れ、呼吸もまともにできなくなり、手足はブルブル震え、意識も混濁し、マスクの中で汗の海に溺れながら、これまでの生涯の走馬灯がよぎりました…

「ダメだ…もうダメだ…俺は今ここで死ぬ…」私の意思と心はドロドロと溶けてしまいました。

ステージ中央で倒れ伏し、ショー終了まで再び立ち上がることも出来ず、最後は先輩や仲間に抱えられて退場となりました。

抱えられてバックステージに戻り、無理矢理スーツを脱がされた私の口からは、固形化した唾液がゼリーのようにドロドロと溢れ出ていました…唾液ゼリーに塗れながら倒れる私に仲間が次々と水をぶっかけます…

汗と水でびしょ濡れになりながら朦朧とした意識の中で「い、一応まだ、生きてる…」奇跡的に生還できた事を辛うじて認識できていた刹那、私の耳に当時のお偉いさんが放った言葉が届きます。

「お前はプロ失格だ」

「じ、時給750円で命捨てるプロってなんだよ…なんなんだよ…」

私の心の叫びは、遠のく意識と共に深淵に飲み込まれていきました。

はい、というわけで、少々長い思い出話から始まりましたが、「プロとはなんぞや?」という事について私の屁理屈をこねくり回していこうかと思います。

最初に言っておくと、当時のような状況は決してあってはならない事です。(もう、当時とは色々とコンプライアンス的にも変わってきているので、そんな事ないでしょうけど)

当時は何かにつけて「プロ根性、プロ意識」なるものを叩き込まれましたが*洗脳ともいう…

彼ら(当時の上の人間)の理屈はこうでした

【賃金の発生=プロ】

要は「要は金払ってんだからプロとして働け!」です。

いやいやいや…違うでしょって言いたくなります。

そりゃ、ただの労働ですよ。

時給(or日当)わずかな「アルバイト」でしかありません。

「ヒーローショーのバイト=プロのスーツアクター」とするなら、コンビニバイトはコンビニのプロなんですか?って事です。

それを「プロなんだからしっかりやれ!辛くても我慢しろ!」なんて、高校生や大学生などの若い連中相手によく言えたもんだと…。

もちろん中にはプロとして確たる技術を身に付け、プロとして意識して働いている人間もいますが、全員が全員そうでは無いです。

バイトだからプロじゃないと言いたいのではなく、押し付けの「プロ」を大義名分にして、若い連中に安い賃金で過酷な労働を強いたり、命を危険に晒すのは、よくない事ですよ…と言いたいのです。

今ではこういうのは「やりがい搾取」なんて言われたりもしてますね。

「労働」の対価として賃金を得るのではなく、「技術と能力」の対価に賃金を得ることができるのが本当の「プロ」であると思います。

さてさて、では一先ず「プロのスーツアクターとは?」ってのは置いといて、様々な業種、業界において共通する「プロとは」について持論と屁理屈を述べていきましょうか。


「プロとアマ」

何事も自分の立場がアマチュアかプロかで取り組む姿勢は変わってきます。

ではアマチュアとプロの違いとはなんでしょうか。

プロフェッショナルとは本来「技術の対価として賃金を得る」事ですが、現在では様々な意味でも使われてます。

個人的見解としては「商業的であるか否か」がその境界線であると言えると思います。

商業的とはいわゆる「資本主義の豚」ですが、では資本主義の豚的プロアマ論に迫りましょう。


「資本主義の豚的アマチュア論」

個人的にはアマチュアの方が、よりアートに近いと思います。

アート(芸術)とは本来「他人の評価を一切意識しない創造」だと思います。

好き勝手己の情熱を何かしらの形にする。

結果を求め無い、創りたいから創るってだけ。

それが純粋なアートでは無いかと思います。

生産性も評価も関係なく自由に創造してればいいんです。

しかし、それでは「仕事」にはならないです。


「資本主義の豚的プロ論」

商業的プロとは、ズバリ『ニーズに応える事』だと思います。

ニーズに合わせて時には徹底的にこだわり、技術を磨き、時には自分を殺し妥協し、顧客が求める物に最も近い形を提供する。*納期や予算もニーズに含みます。


「資本主義の豚は魂を売ったのか?」

資本主義の豚を嫌うアーティストは稀にいます。

だから彼らはアンダーグラウンドやインディーズに拘ったりします。

それはそれでいいんです。

純粋な自己表現がしたいからこそメジャーにならない。

彼らは「商業的ではない」という点から言えばアマチュアだと思います。

*決して優劣の話では無いです。メジャーじゃない=売れてないでは無いですし、純粋に自己表現する彼等こそ真のアーティスト(芸術家)です。

プロはニーズあってこそだと思います。

しかしそれは、自分の色を出す事も出来ず、ただひたすら己を殺して大衆に媚び、小手先だけの技術を売る…では決して無いと思うんですね。

それを『魂を売る事』と勘違いしている人もたまにいますが…それは世の中の仕組みもろくに分からぬ少年達の『汚い大人にだけはなりたくねぇ!』と同じです。青いですね。

時と場合によって自分の色を出したり消したり、如何に自分の色をニーズにねじ込めるか、ニーズそのものを自分の色に染められるかの駆け引き、その妙味こそプロの醍醐味では無いでしょうか。

如何に拘り、如何に妥協し…その波を乗りこなすのが真のプロだと思います。

コメント