ゴウン、ゴウン…さよならスピリチュアル

「ゴウン」

 SFに出てくる巨大メカか、巨大戦艦の起動音ではありません。

漢字にすると五蘊(ごうん)と書きます。

人を構成する要素の集まりという意味の仏教用語ですね。

人を構成する要素は「色、受、想、行、識」の五つからなり、蘊(うん)とは「集まり」という意味です。

さて…

いきなり何のこっちゃでしょうが…。

知ったことか!

「縁起」

で、ひとまず五蘊の方は置いといて、仏教では、この世の全ては「繋がりで成り立って」おり、繋がりから独立して存在しているものは無いとします。

あるものと、あるものが繋がって一つの物体であり、事象であったりを生じたり、滅したりしているに過ぎない…これを「縁起(えんぎ)」と言います。

縁起とは「因縁生起(いんねんしょうき)」の略であり、

この世の事象は、「因(要因)+縁(諸条件)=生起(結果)」という方程式によって成り立つということです。

少しわかりやすくするために、花の縁起を見てみましょう。

種(因*要因)+土、日光、水(縁*諸条件)=花(生起*結果)

という具合です。

これが縁起です。

「諸法無我」

全ては繋がりで成り立っているに過ぎず、独立して存在しているものは無い。

ということで自己(自我)というものも繋がりから縁取られているだけに過ぎず、この世に自己(自我)は存在しない。

これを「諸法無我(しょほうむが)」と言います。

さて、少々長くなりましたが、ここまでが前振りです。


「五蘊」

この世に独立して存在しているものは無い、という縁起の理論から、仏教の開祖であるブッダ(お釈迦様)は人の人体を5つの要素に分けました。

色蘊(しき)

物理的な肉体。

受蘊(じゅ)

感覚、知覚、印象などを受け取る作用。

想蘊(そう)

受蘊によって受け取った感覚に己の想念を結びつける。

行蘊(ぎょう)

意思と行動のことで対象に積極的に働きかける。

識蘊(しき)

物事を認識し、区別する働き。

と、人間とはこれら5つの要素が仮に束になって成り立っているだけで、自我や霊魂などの実体的なものは無いとされます。

これを「五蘊無我(ごうんむが)」と言います。

また仏教ではこの世は根本的に「苦」であるとし、苦を「根源的な苦」と「社会生活上の苦」に分類し、それらの苦を総称して「四苦八苦(しくはっく)」と呼びますが、この四苦八苦の内の一つに「五蘊盛苦(ごうんじょうく)」という苦があります。

「五蘊盛苦(ごうんじょうく)」は「五蘊がままならない=心身が思い通りにならない」という意味で、つまり「五蘊無我(ごうんむが)」とは、この世にしがみつくべき「自己」、思い通りにしなければならない「自己」も存在しないと覚り、苦から解放されなさいという意味になります。


さよならスピリチュアル

さて、少々ややこしい単語を交えて書いてきちゃいましたが、ここまで読んで何か分かりましたでしょうか?

わっかるかなぁ〜…わっかんねぇだろうなぁ〜。

ま、ちょっと難解な理論なので中々スッと入ってこないと思いますが、要はですね、仏教の開祖であるブッダ(お釈迦様)はこの世に自我も霊魂も存在しないと言っているのです。

もう少しややこしくしてやりましょう。

この世に永遠不変であるものも存在せず、世は常に移ろい変化している。

これを「諸行無常(しょぎょうむじょう)」と言います。

で、ここまでをまとめると…。

この世は繋がりで成り立っており、繋がりから独立した自己など存在しない。(諸法無我)

人を構成する要素も仮に束になって成り立っているだけで霊魂などの実体は存在しない(五蘊無我)

この世に永遠不変であるものも存在せず、世は常に移ろい変化している。永続する自己である魂という存在も存在しない(諸行無常)

ということです。

どうでしょう?ややこしくなったでしょう?

私は何が言いたいかというと…

自分でもよく分からなくなってきましたが…着地点を探してみます。

私も脚本という仕事をしていると、物語の都合上「魂」とか「怨念」などの概念を引っ張り出してきますが、それらはフィクションとしての便宜上、使い勝手がいいからです。

ただそれだけの事です。

こう言った類の事はフィクションの中だけに留まっていただき、現実世界に出てくる事はちょっとご遠慮いただきたい。

と思うのです。

というのも、やれ魂だ、やれ前世だのこれらの所謂スピリチュアル系の思想は、命を軽んじる事に他ならないと思うからです。

魂とか前世とかが何だっていうんでしょうか?

そんな事より「今」を懸命に生きましょうよ。

という事を言いたいだけのやや長文でした。


あ、これらの理論は俺が思いつきで言ってんじゃ無いからな!もし文句あるならブッダに言ってくださいね!

私の持論は「全ての命は等しく尊く、等しく無価値である」です。








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